Blismile

ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

生きている手、死んでいる手

「生きている手、死んでいる手」


バレエをしているとそんな表現に触れることがあります。

昔から耳にしてきたので、余り深く考えることなくそれをただフィーリングワードとして捉えてきましたが、最近、それが意識的であれ無意識的であれ、その時大きく動いている訳ではない関節へ行き渡るものの違いなのではないかと感じています。

 

バレエのアームスは、例えば肘も敢えて固定しているかのように見える面があると思いますが、型としてはきっちりポジションに収まっているけれど、どこか「生きていない」と感じるポール・ド・ブラなどを映像や舞台で見ると、文字通りの「固定」あるいは「型」であって、「生きている手」と感じるのは、次の瞬間に如何様にでも動ける、機能し続けていて、同時にその運動空間を確かに予感しているアームスなのではないかと。

上手く言葉にできなませんが(^^;)

 

バレエの子どもたちは比較的に肘の感覚はある方だと思いますが、それでもバレエのポール・ド・ブラから外れた軌道になったとたんに体幹との繋がりが途切れたり、それがどこにあるか、どこを向いているかが感じられなかったりと迷子の肘になってしまうようなこともあったりします。つまり、「決められた通り道」の中でしか充分に感じられていないように見受けられるケースもあるのです。 

 

バレエのアームスや手のてほどきを受ける際、多くは型から出あうかと思いますが、やはり、それ以前に様々な関節の働きを豊かに感じ、そして育む時間が持てたなら、それぞれの中でのバレエのアームスの成り立ち方も、ずいぶんと違ってくるのではないだろうかと、子どもたちの手や肘の感覚の成長を感じながら思ったりもするのです。

 

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ナチュラリゼーションはじめの一歩★新体操小学生

新体操の子どもたちのグループレッスンから、今日が初めての小学生さんです。

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寝返りも、やってみると結構難しいもの。
上から順にのはずが、あれれ、お腹から動き始めちゃう…とか(笑)
そうならないようにしようと思うと、どこを使ったらよいのかわからなかったり、右に進むときと左に進むときとでは身体の使い勝手が違うことに気付いたり。

でも、「できない」「わからない」を発見する度に、何かすごく面白い事を見付けたような表情で楽しそうに取り組んでくれました。

もう少し大きくなると、それらに出合った時の笑顔にもちょっと恥じらいのような、照れくささのようなものが混じったりもするのですが、この9~10歳頃の年代はそれが「面白い」に直結していくんだなぁとよく思います。

これから選手として成長していく過程では、様々な、より高度な「できない」に直面することも、数字で評価されることも多くなっていくかと思いますが、今のできないことも真っすぐに面白がれる時期に、発見と模索と工夫と、そして少しずつの達成の楽しさや喜びをたくさん体験して、心身共にその根っこを丈夫にしなやかに育てていってくれたらと願っています。

ナチュラリゼーションはじめの一歩は、「できない」の発見から、シンプルな動きでも、やりようによって動きやすさも全然変わる面白さを感じたりしながら、嬉々とした笑顔が輝くひと時となりました。

 


「ゆっくり育てていく自分」を楽しむ

昨年の夏頃からレッスンをスタートした大人の方です。

最初の頃は周囲と比較したご自分、年齢、或いは欠点といったものにどこか囚われているような印象を覚える言葉をよく話されたり、「早くこうなりたい」というような、急ぐ気持ちが力みとなって動きに表れているような面もあったのですが、レッスンを続けて半年以上経って身体や動きの面でも気持ちの面でも、ずいぶんとその「力」が抜けてきました。

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欠点にフォーカスしていた気持ちも、自らのちからでゆっくりと少しずつ変化していくご自分を楽しみながら、希望を抱いて未来を眺めるようなまなざしに変化してきているのを感じます。

そして、その日々の居心地は後ろ姿にも表れている様に思うのです。

 

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朗らかな気持ちに触れる、朗らかな時間を共に過ごさせて戴いて、私も春のイエローに包まれたような1日でした。

 


 

這う動きとなぞなぞ

写真は上の2枚が腹ばいで肘を交互に使いながら後退する動き
下の2枚がずりばいで前進する動きです。

違う動きですが、そこには同じ傾向が表れています。

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さて、違うのはどこだろう?
どうしてかな?
右と左で働き方が違うのはどこだろう?

ある程度レッスンを重ねてきた子どもたちには、ときどきそんな問いを投げかけて、感じ分けて貰ったりもします。

子どもたちも見ているかもしれないので答えは書きません(^.^)

それに、複数の筋肉の働き合いのどこに、或いはどのタイミングにその子が違いを発見するかは、必ずしも同じではないのです。

すぐには答えを見付けられないことも、もちろんあります。
メインで力強く働く筋肉たちではない、補助的に働く筋肉のささやき声を聞き取るのは、やはり簡単ではありません。

様々なワークの中で、一方では働く感覚が感じられるけれど、反対側ではまるでそこに働くものが存在しないように「空虚」であることに気付いて驚く子も中にはいます。

空虚の発見も、大事な一歩だと思います。

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じぶんの答えを見出したら、ターンアウトする股関節の感覚の違いも感じてみて貰います。

 

 


発達のプロセス

今日は、生まれてからつかまり立ちをする前までの赤ちゃんの発達のプロセスの一部を(かなりざっくりですが)、皆さんとご一緒に見ていきたいと思います。

 ※原始反射、姿勢反射/反応についてはここでは触れません。
 ※写真の数字は月齢ではありません。

 

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①泣く

産声をあげて泣く、それは赤ちゃんが肺呼吸をし始めた瞬間。
大きく口を開けて泣くためには、お腹の筋力も使います。

②③ネンネの時期~寝返りを始める頃

仰向けで寝ているネンネの時期、屈曲位だった(曲げていた)四肢を伸展させる(伸ばす)ことを学んだり、首がすわったり、注視・追視といった(ものを見たり、追う)目の機能なども少しずつ発達していきます。
また赤ちゃんは少しずつ身体の正中線(真ん中)を上下にも左右にも越えるということも学習していきます。

④⑤うつ伏せになる

うつ伏せで過ごす時間が増えてくると、肘や手でからだを支える力も次第についてきますし、身体を伸ばすための筋肉も発達していきます。⑤のような飛行機肢位(airplane position)をとったりもします。

⑥⑦ずりばい(creeping)

やがて、腹ばいのまま移動するということを学習します。最初は前に進めず後退りすることも。これは上から下へ、つまり下肢より上肢が先に発達するためです。
このずりばいの時期に身体をくねらせる動きや股関節の動きも発達していきます。ターンアウトのためにもとても大切な運動です。(爬虫類っぽい動きの時期ですね)
また、⑦の子の左足からはこの時期にも趾が使われ始めていることがお分かり頂けるかと思います。このとき靴下を履かせてしまっていると、充分に趾を使うという体験ができないかもしれません。

⑧はいはい(crowing)

床からお腹を離した四つ這いをとれるようになると、前後や側方に身体をゆするようなロッキング運動などもみられます。そして四つ這い位での移動、つまりはいはいを始めます。
肩甲骨や股関節の発達、体幹の安定性、体幹と四肢の動きの調和も育まれる大切な時期です。

⑨高ばい(bear walking)

膝を床から離して、手足で身体を支えながら移動する高ばいのプロセスでは、趾の動きや、股関節を伸ばす筋肉も発達していきます。

 

最後に、ナチュラリゼーションについて

ナチュラリゼーションは、この赤ちゃんの発達過程に準じながら、運動学習をやり直していくプログラムですが、ただ赤ちゃんの模倣をするだけでなく、赤ちゃんの時期を過ぎてしまった人でもナチュラルな動きを取り戻していけるよう、例えば硬くなった顎や手を解放したりといったように、ナチュラルな動きを妨げているものをそぎ落としもしながら、ワークが進められていきます。

そして、全身が調和した機能的な動きが自動化されていく=ナチュラルになっていくには、それにかける「時間」もまた大切な要素なのです。

 ナチュラリゼーションを学んでいる皆さんのプロセスを見ていても、私自身の体験からも、例えて言うなら「熟成」「ねかせる」ための時間、「準備が整う」ような瞬間というものがやはり個々にあって、時には停滞している様に感じられるような時期もあったりします。

でも、進めない時は戻ってみると、最初にやっていたときには見出せなかったことを見付けたりすることも多々あって、ただ直線的に進んでいくだけでなく「らせん」のように辿っていくことで(そこには模索も工夫も、アタマを柔らかくしていくことも必要だったりしますが)、ある時ポーンと越えられなかった壁を飛び越えるような瞬間がやはり訪れるのが面白く、そして「ヒトのからだも、自然が育んだプログラムもスゴイ!」と感動を覚えるところでもあります。

 

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Naturalization仲間、募集中です(^O^)/ 


 

 

「吸う」と「嗅ぐ」と「わたしの言葉」

ちょっと前のことになりますが、ある方とお話をする中で、「嗅ぐ」という言葉に覚える身体感覚も色々だという話題になりました。

言葉と結びつく身体感覚は本当に様々で、だから下手な事は口にできないのですが(笑)、レッスン後のひとときに試しに幾人かの小学生の子どもたちに、呼吸の「吸う」や様々な匂いを「嗅ぐ」ときの身体感覚を言葉にしてみてもらいました。

「吸う」

  • 鼻とか喉、胸の上の方を感じる
  • 肋骨が上に上がる
  • 胸が膨らむ
  • 肋骨の上が伸びる
  • お腹が膨らむ
  • 肩が上がる
  • 胸がスーッとする感じ

 

「嗅ぐ(花や好きな食べ物などいいにおい)」

  • 呼吸が深くなる
  • 肋骨の下が広がる
  • 肩が下がる
  • 脇を感じる
  • 身体ごと近付きたくなる
  • 胸があたたかい感じ

 

「嗅ぐ(嫌な臭い、何かわからないものの匂い)」

  • 鼻の先だけクンクン
  • 余り吸い込まないよう呼吸をとちゅうで止めている
  • 舌や口に力が入る
  • 鼻に皺が寄る
  • 鼻だけ近付ける(近寄りたくない)

 と、実に様々な感覚表現や着目点がありました。
同じ「外気を取り込む」でも
「吸う」と「嗅ぐ」では違ったりもするようですし
「嗅ぐ」では何を嗅ぐかによっても
「吸う」ではどういう呼吸をしているかによっても、違いがあるようです。

身体の状態と表現との関りも、「ああ、今のこの子はそういう感じだろうな」と思えるようなところもあり、思った以上にみんなよく感じているとも、それを自分の言葉にできるものだとも思いました。

そして、肋骨の上部では縦に伸びるような感覚を、下部では横の方へ広がる感覚をと、広がりの方向性を感じ分けている子もいたりして、子どもたちの豊かな感覚とその表現に感心しつつ、「やはり滅多なことは言えないな(^^;)」と改めて感じました。

 

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その子にとっての「自然に立つということ」

和泉多摩川のスタジオでのレッスンから。小学生のバレリーナさんです。(写真左は1年ほど前)

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カエルのポーズでは開くようになったターンアウトが、立っている時や動いている時に働くために、何が邪魔をしていて、何が足りないのかが、彼女の中で少しずつクリアになってきています。それは、必ずしも股関節だけの課題ではありません。
ナチュラリゼーションを続けていると、そうした全体性の中で自分の課題を捉えるということも、少しずつ自然にできるようになってきます。

まだ働きを感じにくい部位や苦手なこともあって、その苦手に取り組む前には「ふう~っ」と、思わずため息が漏れるような時もありますが、それも正直でよろしいかと(笑)

でも、「ふう~っ」と構える気持ちの力も抜いてから、その「苦手」に正直に向き合っていくと、やはり身体のラインが変わってきたり、後にポアントワークで動きやすいといったようなバレエのお稽古の中での手応えも見出せる。

苦手なことって伸びしろなんだ、それに取り組んでいくとバレエがしやすくなるんだという実感が生じれば、「苦手なこと」に対する意識も徐々に変わってきます。

その子にとっての「自然に立つということ」を記録したいので、写真を撮る際は、「自然に立ってね」と言うだけで、足のポジションなどもあえて指示しませんが、写真左のほぼ1年前の彼女の「自然に立つ」と、写真中央の今の「自然に立つ」はずいぶんと様変わりしてきているのをお感じ戴けるのではないかなと思います。

 今日も和泉多摩川と江の島を巡る1日でしたが、クレッシェンドしていく春の眺めがとても美しかったので、数枚添えさせて戴きますね(^.^)

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「わたしの成長」「わたしの力」

先日、教育支援の講座で学ばせて戴いた際、発達臨床学科の先生から

幼稚園の年中さんくらいまではポジティブ・イリュージョン・バイアスがかかっているが、年長さん位になってくると能力の自覚が生じてくる。
そして、小学校3年生位にひとつの「壁」が生じやすい。
つまり、「他者との比較のもとに自分を見る」ということと「だから、自分はダメなんだ」という自己評価が統合されてしまうのが9歳ごろ。

 

※実際に存在する物事を,自分に都合良く解釈したり想像したりする精神的イメージや概念と定義される(Taylor & Brown, 1988)

というようなお話を伺いました。

 

学校の勉強や体育で、更には塾で、習い事で…と、ここまでは私の世代でも「ダメなじぶん」というように感じやすい事が増えてくる時期でもあったな(^^;)と思い返しつつ、でも、その当時はまだ未来に希望を感じやすい世の中であったように思うし、触れられる世界も限られていた分、リアルな手触りのある「じぶんの世界」を味わう時間もあったけれど…と、今という時代に生きる子どもたちの大変さに、改めて想いを馳せたりもしました。

だからこそ、相対評価や世の中の価値観、或いは何か限られた世界の中での価値観に基づく物差しで測ったのではない「わたしの成長」「わたしの力」を、見出せる体験となる時間・場となれるようなレッスンのひと時を、子どもたちと共に過ごしたいと改めて、より強く、感じています。

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そしてもうひとつ、ソーシャルワーカーとして、長年現場に携わっていらした先生の言葉が心に残りました。

よく吟味されていないゴールは誤ってしまう可能性がある。
だが、私たち大人はそれを提示しがちである。
ゴールはそう簡単にはわからない。

これは、生き辛さを感じている子どもたちに対応するときばかりではないと感じています。

~を目指そう、~になるために
という、より高みを目指すような言葉にはすでに大人や世の中の価値観での序列の意識が働いているのではないかと。

それを子どもたち自身が真に望んでいるなら良いかもしれませんが、「そのゴールは誰のため?」ということを、繰り返し自問する(自らを疑う)位でちょうど良いのかもしれないと思いました。

 

「花は観手に咲く」
という世阿弥の言葉がありますが、どんな花かを決めつけたり押付けたりしてはいないだろうか?という問いと共に、再び心に刻んでいます。

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自分の正解を見出していく

金曜日の小学生さんのレッスンでは、最初に写真を撮った後に、その後ろ姿(写真左)を見てもらって「ねえ、どんなワークしたら良いと思う?」と、尋ねてみました。

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パッとみて「肘のワーク!」と、彼女。
「じゃあ、後でそれを確認しながらやってみようか。」
という会話からレッスンが始まりました。

昨年9月からレッスンをスタートしてそろそろ半年になるので、少しずつそんな問いかけをしながら自分で考えてみたり、確かめて貰ったりもしています(^.^)

これが正解という「答え合わせ」ではなくて、こういう感じの時は何をしたら居心地の良いカラダになるか、確かめながら自分の正解を見出していくことも、大事なのではないかなと思っています。

 

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ターンアウトも、また少しずつ変化してきました。

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陽気な手

こちらは週末のレッスンから。

上半身の硬さやお口が開かないことがお悩みという、初めてナチュラリゼーションを体験した大学生のバレリーナさん。
顎のワークで少しずつ顎関節や脊柱を動かしていったり、手や肘のワークを行っていきました。

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来月からは、小学生の双子の男の子さんとお母様の親子レッスンを行うことになり、新たな出会いが楽しみな春です(^.^)

 

今週は連日、教育支援関係の講座で学ばせて戴いていて、今夜はその際ご紹介いただいた「子どもたちの100の言葉―イタリア/レッジョ・エミリア市の幼児教育実践記録」という本を読んでいます。

 

子どもたちの100の言葉

この本の中に子どもたちが描いた三つの「手」の絵が載っていて、「陽気な手は開いている」「悲しい手は閉じている」「怒った手は引きつっている」という言葉が添えられていました。

子どもたちは、しっかりと手にココロを見て取っている。

手のワークを楽しみながら、動きから生じる陽気なココロもあるのではないだろうか…そんなことを思いつつ、誰もが「陽気な手」で日々を暮らしていけますようにと願う晩です。