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ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

「わたしの成長」「わたしの力」

先日、教育支援の講座で学ばせて戴いた際、発達臨床学科の先生から

幼稚園の年中さんくらいまではポジティブ・イリュージョン・バイアスがかかっているが、年長さん位になってくると能力の自覚が生じてくる。
そして、小学校3年生位にひとつの「壁」が生じやすい。
つまり、「他者との比較のもとに自分を見る」ということと「だから、自分はダメなんだ」という自己評価が統合されてしまうのが9歳ごろ。

 

※実際に存在する物事を,自分に都合良く解釈したり想像したりする精神的イメージや概念と定義される(Taylor & Brown, 1988)

というようなお話を伺いました。

 

学校の勉強や体育で、更には塾で、習い事で…と、ここまでは私の世代でも「ダメなじぶん」というように感じやすい事が増えてくる時期でもあったな(^^;)と思い返しつつ、でも、その当時はまだ未来に希望を感じやすい世の中であったように思うし、触れられる世界も限られていた分、リアルな手触りのある「じぶんの世界」を味わう時間もあったけれど…と、今という時代に生きる子どもたちの大変さに、改めて想いを馳せたりもしました。

だからこそ、相対評価や世の中の価値観、或いは何か限られた世界の中での価値観に基づく物差しで測ったのではない「わたしの成長」「わたしの力」を、見出せる体験となる時間・場となれるようなレッスンのひと時を、子どもたちと共に過ごしたいと改めて、より強く、感じています。

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そしてもうひとつ、ソーシャルワーカーとして、長年現場に携わっていらした先生の言葉が心に残りました。

よく吟味されていないゴールは誤ってしまう可能性がある。
だが、私たち大人はそれを提示しがちである。
ゴールはそう簡単にはわからない。

これは、生き辛さを感じている子どもたちに対応するときばかりではないと感じています。

~を目指そう、~になるために
という、より高みを目指すような言葉にはすでに大人や世の中の価値観での序列の意識が働いているのではないかと。

それを子どもたち自身が真に望んでいるなら良いかもしれませんが、「そのゴールは誰のため?」ということを、繰り返し自問する(自らを疑う)位でちょうど良いのかもしれないと思いました。

 

「花は観手に咲く」
という世阿弥の言葉がありますが、どんな花かを決めつけたり押付けたりしてはいないだろうか?という問いと共に、再び心に刻んでいます。

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