Blismile

ダンサーのためのナチュラリゼーション・レッスンを東京、湘南で展開する「ブリスマイル」公式ブログ。

Tailored Educationという考え方

年の瀬に、ミシマ社という出版社から出ている「ちゃぶ台」というユニークな名前の雑誌を取り寄せました。今回のテーマが「教育×地元」で、出版社のサイトの記事でも一部取り上げられていた、その「教育」と「地元」というものへのミシマ社の概念にとても共感を覚えたから。

www.mishimaga.com

 

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その中に、「先生・生徒の枠組みがなくなる」という瀬戸昌宣さんと森田真夫さんの対談があって、そこに書かれている『テーラード・エドゥケーション』という考え方は、ナチュラリゼーションと大いに通ずるところがあるのではないかと思いましたので、一部引用させて戴きます。

 

「先生が導く」では機能しない

森田 これからこの町で、瀬戸さんは具体的にどんなことをされるんですか?瀬戸さんはいつも、これからは「テーラード・エデュケーション」の時代たとおっしゃってますが。
瀬戸 普通に訳せば、「仕立てられた教育。」だけどそれでは、いってみればいまの「される教育」というのとほとんど変わらない。そもそもエデュケーション、educationはeduceという言葉からきていて、能力を外に(e-)導く(duce)という意味がある。だから、個人が天から授かった資質を「発育」するというのが本意なんだけど、日本ではこれが「教育」と訳され「教師が学生を教え育む」という言葉になってしまった。だから、まず教育のとらえ方をeducationに引き寄せなければいけない。


「ちゃぶ台」Vol.3 教育×地元号 ミシマ社より

 

教えることの是非でも、要不要でもなく、赤ちゃん時代の運動学習の過程を辿りなおすナチュラリゼーションに於いては、やはりまずその学びの過程に対する考え方を、教える/教えられるという地平から切り離して、上でいう「educationに引き寄せた」ところで捉えていくことが必要なのだと思うのです。

 

今、バレエを取り上げる情報の殆どは、「より完成されているもの」や「バレエの理想」にどう近付くかというであることが多く、それももちろん大事な事なのですが、ダンス以前を見直していくナチュラリゼーションでは、自分ではないものになるとする時点でアンナチュラルなのだと思うのです。
外に描いたものに近付いて行くのではなくて、ワークを通じて内から生じて、育ってくるものを待つというのがベースなんですね。
赤ちゃんが何者かになろうとして、動きを学んでいったのではないように。

 そのベースとしてのナチュラルが育っていく中で、その先の学びが少しずつ積み重なっていくとき、そこには確かに違うダンスの感触があるのです。

以下は出張講座を開催させて戴いているお教室の先生から戴いたお言葉です。

教えるとか教わるとかいうこととは違う
それぞれの中で次第に花開いていく様と
それを見守る距離感のようなものに
心からの幸せと喜びを感じるのです。
ずっとピントが合わずくっきりしなかったけれど
私はこういうバレエとの在り方を願っていたように感じるのです。
そしてそのことは
自分や生徒やバレエそのものを
バレエの側からだけ見ていた頃には決して出合えなかった感触で
康子先生と、その康子先生がお引き合わせ下さった
ナチュラリゼーションとの出合いあってこそのものなので

 

coubic.com