何かを予め知って行為するのではない

赤ちゃんのように未知に寛ぎ

目先の目的をいったん脇に置いて

動き続けてみることの中で

様々な「できない」や「困った」の源となっている

不要な働きや働きの遅れ、あるいは

慌てん坊だったり頑張りすぎてしまう働きを見出し

新しい働きあいを

育み直していくナチュラリゼーションの道のり。



そこには「待つ」ということも

必要なときがあります。

それは、当てにもならないものを 当てにする事でもなく

期待に胸を弾ませるような事でもなく

淡々と行為することからのみ生じてくる

緩やかな成熟と新たな秩序の生成を待つということ。


いくつからでも、いくつになってからでも

その旅が進むほどに

身体という自然から授かっているギフトの素晴らしさを

きっと感じていただけることと思います。