
年頭所感
2021年1月 1日 (金)
新年 あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年はCovid-19の影響や世界情勢にも様々な動きがあり
私たちの日常も大きく揺さぶられた1年でした。
メインストリームの流すニュースや
インターネットから得られる情報など
様々な言説が渦巻く中で
「わからなさ」とどう付き合っていくかということを
考える機会が多々ありました。
まだまだ、その「わからなさ」が続いたままの年明けですが
私が愛読している詩人の長田弘さんのエッセイを
ご紹介させていただきたいと思います。
知識が、知らないものをよりおおく知るということだとはおもわない。知っていることを、どのように知っているのか。そのことを問うことができなければ、それは知識というより情報でしかないし、何を知らないかを、みずから知ることができなければ、知識はただ無力だからだ。知ったかぶりの言葉、知ったつもりの言葉、あるいは「わかっちゃってる」言葉には、どうしようもないようないかがわしさがある。言葉に欲しいものは何か。
知らないものを知らないといいきれるだけの潔さ。
――長田 弘 『感受性の領分』 岩波書店より
「知っていることを、どのように知っているのか。そのことを問う」
それは、「そうしよう」と思って一朝一夕に成されるものではないと思うのです。
そうした態度、姿勢が習慣化されて初めて
様々な局面で自らを明るくしていくために自らの思考や行為を疑う、問うという視点が
自ずと生起してくるものなのではないでしょうか。
日々のレッスンの中で行なっていることは
身体や動きに関してのことだけではなく
できているつもり、知っているつもりのことを
問う力、考える力を稽古する機会でもあると
私は思っています。
そして、その経験が
この混沌とした世界の中を生きていく上で
少しでも活かされていくことを願ってやみません。
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