Blismile

ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。 主にバレエや各種ダンスをなさる方を対象に、ナチュラリゼーションをお伝えしている「ブリスマイル」の公式ブログです。

樹々の梢を見上げると

枝先の芽の膨らみも増しつつあり

降り注ぐ眩い光に

春の兆しを感じることも多くなってきました。

 

お仕事が大変な中でも

心身とじっくり対話する時間を持つことで

「すっかり溜まっていた変なものも解消した」と

仰ってくださる笑顔に触れたときはとても嬉しく

こうして、何とかレッスンを続けられていることを

ありがたく思います。

 

生徒さんのご家族にも

リモートワークになって随分経ち

ご自分で身体を整えていけるようになりたいと仰って

ご夫婦でのレッスンを始められた方もいらしたり

変わりゆく社会や世界の中で

大変なことも

不安なこともあるけれど

どのように暮らし、生きていきたいか

それぞれが大事にしたいことが

より鮮明になってきているようにも思います。

 

また、お若い生徒さんの中には

予定されていた進路を再考するにあたって

それまでの、「すでにあるもの」に

自分の未来を沿わせていくような考えから

表現形態そのものを新たに創造していくために

自分はダンスや身体に関わること以外に何を学んでいくのかと

発想そのものを大きく転換して

様々なチャレンジをし始めている生徒さんもいらしたりして

そのしなやかな感性やパワーに

頼もしさも覚えています。

 

そして、その理由のひとつとして

「ナチュラリゼーションの経験を通じて

1からやり直すことへの勇気と

自分自身の可能性への希望を体感できたから。」

としみじみ語ってくれたことを

とても嬉しく思っています。

 

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さて、今日は私たちが日常的に使っている

「カラダ」という言葉の語源について

新音義説を唱えていらっしゃる方の著書から

ご紹介させて戴きたいと思います。

 

私は、時折こうして

自分が普段用いている言葉の語源について

一般的な辞書以外の本にも触れながら

考えてみることがあります。

何故なら、それはこうして綴ったり、語ったりする以前に

自分の思考の根源に関わることですから

動きを1から見直すのと同じように

半ば無意識に用いているような言葉はなおのこと

様々な角度から眺め直してみたいと思うからなのです。

 

ウイルスだワクチンだと

身体について不安を掻き立てられるような話題ばかりが

クローズアップされがちな昨今ですが

以下のような見解に触れると

古の人々が「カラダ」という言葉に感じていた響きに

頼もしさを覚えると同時に

「カラダ」という言葉に込めていたかもしれない祈りを

感じたりもするのです。

2 カラダ(体・身体)

体は、漢語の一音節読みでティと読み、日本語の音読でタイ、訓読でカラダと読みます。身体は漢語の一音節読みでシェンティ、日本語の音読でシンタイ、訓読では体と同じくカラダと読みます。

そもそもの漢語においては、広義では身と体は同義とされており生命体の全体のことを指しますが、狭義では身は「頭と体幹」のこと、体は四肢、つまり、「手足」のこととされています。

したがって、狭義では身体となって始めて、全体を指すことになります。

さて、語源の話に移りますと、一音節読みで、躿はカン、はランと読み、共に「カラダ(身体)」の意味があります。はダンと読み、動物の身体の一部または全体の意味でも使われます、つまり、カラダとは、同じ意味の字を三つ重ねた躿躴蛋の多少の訛り読みであり「身体」の意味であって、これがこの言葉の語源と思われます。

カラダの語源となっている漢字を点検してみると、躿は「康+身」になり「健康な身」、は「良+身」になり「良好な身」の意味になります。中日大辞典(愛知大学編)の「身」の欄には「からだ(健康)」と書いてあるのは、カラダは、そもそもは「健康な身体」の意味でつくられたことを示しているのかも知れません。

江副水城『人体語源と新音義説』 鳥影社

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