見ることと動くこと、その下支えとなる舌
2021年5月 9日 (日)
次の発表会で、回転系のパが多く出てくるという中学生の生徒さんと、先月・今月はローリングの様々なバリエーションのワークを行いました。
それは見ることと動くことの協調性を育んでいくためでもあり、実際その再学習を通じて、ピルエットにも変化の手応えが感じられていたようですが、今回は更に「舌癖」もその安定性に影響を与えていたことを発見しました。
パッセ・バランスで舌の位置を確認してもらうと、上顎についてはいるけれど、ちょっと左に寄っていることに彼女は気付いたのです。
それをセンターにすることで、パッセ・バランスの安定性にも変化が出ましたが、レッスンが終わってから試しに動いてみてもらうと、Wピルエットの左右差も(左回転が苦手でした)無くなってきていました。
舌のポジションとバランスについては、以前にも少し触れたことがあったのですが、「わずかに左に寄っている」という感覚に気付けた事が素晴らしいと思います。
(回っている最中の口の中を、私が見ることはできませんから)
そして、その発見を単にピルエットが良い方向に変化したということに終わらせず、「なぜ、舌が左に寄りたくなるのか」「どのような時にそうなっているのか」ということを、日常の姿勢や動きの中でも掘り下げて考えてみる事ができれば、体幹の状態や頭の傾きとの関係性を見いだす事ができるかもしれません。
その様子を見ていて、舌の感覚は見ることと立つこと、動くことを下支えしているのだなと改めて感じつつ、解剖・発生学者の三木成夫先生という方がその著書に綴られていた言葉を思い出しました。
発達や進化と考え合わせてみる面白さや、日本語の表現の中にあるいきいきとした感覚を再発見する面白さもお感じいただけるかと思いますので、最後にご紹介させていただこうと思います。
幼児たちが、目につくものは見さかいなく手に取っていたものが、しだいに眺めるだけで満足するようになるのは、こうした経緯からであるが、ここで、しかし大切なことは、この最後に残った目玉による舐め回しの奥底には、かつてえんえんと続けられてきた本物の"舐め回し"の記憶が、そこではかけがえのない礎石となって、そうした視感覚をしっかり支え続けている、というこのひとことであろう。
三木成夫 『海・呼吸・古代形象 ー 生命記憶と回想』うすぶな書院
ところで、われわれの口からのどにかけての筋肉は、すべて腸管の壁の筋肉の延長で、植物性筋肉に属する。これにくらべ、舌の筋肉は体壁の筋肉がくびの前面から口の底にもり上がったもので、あくまでも動物性筋肉の一部と考えられる。
したがってこれは、体壁から手足が突出することと同じ意味をもったもので、舌は口の中にはえた腕ともいうことができよう。
"のどから手が出る"というのは、このことを表現したものであろうか。三木成夫『ヒトのからだ ー 生物史的考察』うすぶな書院
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